【読書感想】書を捨てよ、町へ出よう/寺山修二【タイトルの意味を考察】

本要約・読書感想
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寺山修二さんの『書を捨てよ、町へ出よう』という本を読みました。

正直内容はあまり楽しめなかったのですが、読んで良かったと思える作品でした。内容がいまいちなのに読んでよかったと思える本に出合ったのは初めてです。そんな奇妙な現象が起きるのは、作品のタイトルが「書を捨てよ、町へ出よう」だからこそです。

私は、「書を捨てよ、町へ出よう」という本は、言葉ではなくこの本を読むという体験を通して、読者に「読書なんかやめて、誰かと出かけよう」と思わせることを目的として書かれたのではないかと考察しました。

この記事の概要

〇書籍『書を捨てよ、町へ出よう』を読むことになったきっかけ
〇元祖天才プロデューサー?作者の『寺山修二さん』とは
〇読んでみた感想と自分なりに解釈したタイトルの意味
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書籍『書を捨てよ、町へ出よう』を読むことになったきっかけ

きっかけは最近ハマっている『山田玲司のヤングサンデー』というYoutubeチャンネルでした(ホントはニコ生チャンネル)。社会派の漫画家さんが構成作家や詩人や美容師といったレギュラー陣と共にアニメ、映画、政治、思想、などなどいろんなコンテンツの「本質」を独自の視点で解説するというスタイルの番組でとても面白いです。

山田玲司さんはコンテンツそのものだけを掘り下げるのではなく、なぜそのコンテンツが生まれるに至ったのかを、過去に起きた歴史のダイナミクスから解釈するという分析方法を好まれます。ご本人はこの分析方法を、そのまま『クロニクル(年代記)』と呼んでいます。

例えば『新世紀エヴァンゲリオン』という作品が生まれることになった理由は、監督の庵野秀明という人がいつ生まれ、どんな時代を生きた親の下で育ち、少年期はどんな時代のコンテンツに親しみ、どんな時代に青年時代を過ごし、アニメの世界に飛び込んでからはどんな時代で活躍した人に弟子入りしたのであれば、あのタイミング(1995年)でエヴァンゲリオンという作品が庵野秀明という人間から生み出されて当然だという分析をします。

このように、何かを分析するたびにクロニクルを掘り下げて考えるのが山田玲司さんの得意とする分析方法なのですが、その過程を経たコンテンツ解説の中でよく耳にするのが『寺山修二』さんの名前であり、代表作『書を捨てよ、街へ出よう』でした。

元祖天才プロデューサー?作者の『寺山修二さん』とは

『書を捨てよ、町へ出よう』というフレーズはなぜかは分かりませんが前から知っていました。文章としてもそのまま把握できるフレーズなので、この言葉を言った人は「本ばっかり読んでないで、実際に色んなこと経験して人として成長しなさいよ」的な昔から残っていることわざなんだろうなと勝手に解釈していました。

元ネタはジイドという外国の方が書いた『地の糧』という本にあるフレーズなのだそうですが、冒頭部分に”本を捨てて、外へ出てほしい”とあり。とのことなので、『書を捨てよ、町へ出よう』という一度聞いたら忘れない強烈なフレーズに変換したのは寺山修二さんご本人だとみて間違いなさそうです。

寺山 修司さんのことをほとんど知らないのですがWikiによると

日本の歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。 「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。

とのことです。主宰する劇団「天井桟敷」では、劇中には様々な仕掛けを工夫して、いまでいうところの総合プロデューサーのさきがけのような存在だったようです。元祖天才プロデューサーとして紹介しているサイトも見かけました。

1935年に生まれて1983年に47歳で肝硬変を発症し、敗血症で若くして亡くなられています。戦前に生まれ、戦中に幼少期を過ごし、平成になる前にはこの世から去った人でした。

没後30年の2013年には突如、寺山修二ブームが巻き起こりその影響は若者のファッション界にまで及んだそうです、ブームは続き生誕80年の2015年には各地でイベントが開催されたとのこと。独特の哲学から生み出される人を惹きつける美しい言葉、時代の変化に影響を受けない本質的な普遍性。そういった魅力が、世代を超えていつまでも受け入れられ支持され続けています。

『書を捨てよ、町へ出よう』を読んでみた感想

主宰する劇団を自ら「演劇実験室」と称することからもわかるように、既存の型にはまることをとにかく否定する哲学を持っていたことをうかがえます。

書籍『書を捨てよ、町へ出よう』でも、何回にもわたって「平凡」であることを強く批判されています。サラリーマンになって、毎月の給料から定年退職後の貯蓄額を計算しながらそつなく仕事をこなして、楽しみは家に帰ってからの晩酌・・・。そんなものには全く価値がないと言っています。

そういった、時代に名を残す男、寺山修二さんの哲学を垣間見ることができた点では、読んでよかったと思える本でした。

しかし、書籍『書を捨てよ、町へ出よう』の総評としてはあまり面白くなかったと言わざるを得ません。

これは、本の内容が悪いというよりは、読み手である私に問題があると解釈しています。

あまり面白くないと感じは理由は大きく分けて3つです。

面白くなかった理由1:時代が合わない

書籍『書を捨てよ、町へ出よう』が発行されたのは1967年です。2021年現在から考えると、54年前、なんと半世紀前です。

『書を捨てよ、町へ出よう』は、寺山修二さんのエッセイ集のような構成になっています、当時の寺山修二さんが当時の時代に生きて感じたことが、飾らない言葉でそのまま記されています。

正義とはなんなのかを考察する際には月光仮面が引き合いに出されたり、時代全体の空気を当時流行していた歌謡曲の歌詞と照らし合わせてみたりと、読んでいても「そういわれても知らないなぁ」というポイントだらけです。

ひとつのテーマを語るときには、問題提議→主張→理論展開→結論というステップで構成されていますが、結論の部分で当時、もしくは寺山さんが若かったころの常識が引き合いに出されるので、その情報を知らない私としては「結論の部分でうまく着地できない」感覚を何回も味わうことになります。

もちろん、50年以上前のエッセイを2021年に読んで「現代の人には分からないよ」というのは野暮の極みです。もしくは私がサブカルに精通していて、当時の情報を知識として完璧に持っていればまた違った感想になるのかもしれません。

面白くなかった理由2:馬の話が多すぎる

書籍『書を捨てよ、町へ出よう』を読んでいて驚いたことに、競馬の話が多すぎることが挙げられます。

作者の寺山修二さんは大のギャンブル好きで、特に競馬が大好き(愛していた)ようです。競走馬の馬主になったり、好きな競走馬が引退したら、引退先の牧場まで様子をうかがいに遠出する様子もこの本で描かれています。

『書を捨てよ、町へ出よう』では「不幸と幸運が勝負したら不幸な立場のほうが強い」といったテーマや、そのほかにも「なるべく物を持たないほうが人生は豊かになる」といったテーマが語られます。

なかなか興味深いテーマですが、どちらも競馬の話を軸に持論が展開されます。「不幸と幸運が勝負したら不幸な立場のほうが強い」というテーマでは、2頭の競走馬の血統を事細かに説明し、名前の由来にまで言及して、やっぱり不幸な立場のほうがレースで勝った。という話が展開されます。

競馬の話題が最初に出た時は「抽象的なテーマを競馬という『競争社会』を比喩に使うことで具体的に分かりやすく説明しているんだな」と思いましたが、読み進めていくうちに競馬の話題のあまりの多さに疲れ切ってしまいました。

正直、私は競馬に対して全くと言ってよいほど興味がありません。テーマは興味深いのに、興味が持てない競馬の話題を軸に理論が展開されるので、読み進めるモチベーションを保つのに苦労しました。

面白くなかった理由3:一貫性がない

書籍『書を捨てよ、町へ出よう』はエッセイ集なので全体を通して一貫性がありません。戦争を体験した親世代の『速さ』に対する嫌悪感を否定してみたり、自身の身の上話が書いて有ったり、競馬仲間が交通事故で亡くなったので弔い合戦だと息巻いてほかの仲間と競馬に行ったり、かと思えば作者本人のものではない10代の若者たちが書いた詩集こーなーがあったり、最後のほうは理想的な自殺の方法を検討してみたり・・・。

読み進めれば読み進めるほど「俺はいったい今なにを読んでいるんだ・・・」という気持ちになりました。

これまで寺山修二さんの作品にたくさん触れ、人柄を深く理解しているひとが、書籍『書を捨てよ、町へ出よう』を読んだら面白いかもしれません。大好きな人の日記を読んでいるような感覚で読めるかもと思います。

ただ、寺山修二さんの作品に触れようと思ったときに書籍『書を捨てよ、町へ出よう』を一発目に選ぶのは、わたしはあまりおすすめできません。

『書を捨てよ、町へ出よう』というタイトルの意味

さんざん書籍『書を捨てよ、町へ出よう』をつまらなかったと述べ、おすすめできない理由をつらつらと書いてしまいましたが、読んでよかったかと言えば、実は「とても良かった」です。

本の内容があまり楽しめなかったのに、読んでよかったと思える本はとても珍しいです。

それは、タイトルの『書を捨てよ、町へ出よう』という言葉が大きく影響しています。

「言葉の錬金術師」とも呼ばれていた天才プロデューサー寺山修二さんは、あえて、真剣に読もうとすればするほどつまらなく感じる本を書こうとしていたのではないでしょうか。

わたしは「せっかく買った本だし、半世紀以上たっても支持され続けている人が書いた有名な本だから、きっとなにかタメになる素晴らしいことがかいてあるはずだ!」という気持ちで『書を捨てよ、町へ出よう』を読み始めました。

しかし、読めば読むほど、「正直面白くない・・・俺はいったい今なにを読んでいるんだ・・・」という気持ちになります。

「まだ途中だけど、読むのやめよっかな」と思い、本を閉じふと表紙を見た時に目に入る言葉、それが『書を捨てよ、町へ出よう』です。そこで私は、『ハッ!そもそもこの本のタイトルが、本を読むなって言ってるやんけ!!』となる仕組みです。

私のように、少なくとも週1冊程度は本を読む習慣があれば、「まぁこんな本もあるよね、次いこう」となりますが、本の習慣がない人がいきなり『書を捨てよ、町へ出よう』を読めば「やっぱり読書なんてつまらないし時間の無駄だ、こんなことしてるより誰かと出かけよう」と考えるはずです。

これこそがまさにこの本の最大の狙いだったのではないのかと考察します。

ちなみに、書籍『書を捨てよ、町へ出よう』のなかには、一回も「書を捨てよ、町へ出よう」という言葉は出てきません。言葉ではなく読書体験を通して本当に伝えたいことを「直感させる」ことがこの本の最大の優れた点だと思いました。

色々書きましたが、私は書籍『書を捨てよ、町へ出よう』を最後まで読みましたし、こうしてブログの記事にまとめるまで至っています。(買った本の中には途中で読むのをやめてしまったり、読み切ってもブログで記事にしないものもあります)

本の内容としてはつまらないと感じる部分が多かったですが、読書体験としては新鮮で面白かったです。

少しでも興味を持っていただけたのであれば、是非とも実際に手に取って読んでみることをオススメします。

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