今回紹介させていただく名言はこちら!!
言った人

どんな人?
オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェは、池田理代子氏の漫画『ベルサイユのばら』に登場する架空の人物で、マリー・アントワネットと並ぶもう一人の主人公です。
彼女は由緒ある貴族で将軍家の末娘ですが、男児が生まれなかったために「息子」として育てられた男装の麗人です。幼い頃から男性として剣術や学問を修め、若くしてフランス近衛連隊長としてマリー・アントワネットの護衛を務めました。
人物像と特徴
- 男装の麗人: 女性でありながら男性として育てられ、軍服をまとっています。颯爽とした美しさで、同性から恋愛の対象となるほどの魅力があります。
- 正義感が強く高潔: 冷静沈着に見えますが、父親譲りの短気な面も持ち合わせています。しかし、個人の自由を尊重し、力で人を抑えつけることを嫌う高潔な精神の持ち主です。部下からの人望も厚いです。
- 内面の葛藤と成長: 恵まれた容姿や環境にありながらも、一人の人間として苦しみ、もがきながら学び、成長していく姿が描かれています。特に、自身のジェンダーや、王政と民衆の間で揺れる心に悩み抜き、最終的には女性であることと軍人としての使命を統合させていきます。
- フランス革命への関わり: 近衛隊を辞任してフランス衛兵隊に異動した後、フランス革命に際して民衆側に立ち、バスティーユ襲撃に参加します。その際に被弾し、要塞の陥落を見届け、「フランスばんざい」という言葉を遺し、戦死しました。
オスカルだからこその名言
「自由であるべきは心のみにあらず!!」という言葉はオスカルが言うからこそ名言になります。
彼女が生きた18世紀は、現代と比べ物にならないほど『生まれ』によって生き方が左右される社会でした。女性は『良き妻』としての礼儀作法を叩き込まれ、いい家に嫁ぎ、男児を生むのが良しとされていた時代です。
そんな中、彼女は由緒ある貴族で将軍家の6人姉妹の末娘として生まれます。いよいよ男児が生まれなかったために『息子』として育てられます。
『息子』として育て上げられ、軍人になりますが、オスカルが『女性』であることは誰もが知っています。
オスカルは、フランス王家への忠誠を誓うジャルジェ家の娘として、若くしてマリー・アントワネットの護衛であるフランス近衛連隊長に任命されます。
オスカルにとって、アントワネットを守ることは与えられた使命であり、誇りでもありました。
女性ながらも軍人としての職務をこなし周囲から実力を認められ、しかも女王であるマリー・アントワネットからの信頼も厚い。といったようにオスカルの生活はきらびやかで誰もがうらやむようなものでした。
しかし、『フランス革命』という歴史的な出来事に向けて時代が猛スピードで進んでいく中、オスカルの考え方も次第に変わっていきます。
女性であること、叶わぬ恋、格差社会の構造、などなど、オスカルをとりまくありとあらゆる要因が彼女のこれまでの生き方(価値観)にたいする『対比』として描かれていきます。
最終的には、最も慕っていた、生きがいと言っても過言ではないマリー・アントワネットと決別することを決意します。王族として生まれ、女王として君臨していたマリー・アントワネットはついに民衆の苦しみを理解することができませんでした。
民衆側に立って革命に参加するオスカルは、フランス女王であるアントワネットとは立場を異にし、袂を分かつことになります。しかし、オスカルは最期までアントワネットへの忠誠心と、一人の女性としての尊敬の念を抱き続けます。
「自由であるべきは心のみにあらず!!」
という言葉は、革命のさなか、オスカルが自分の考え方についてきてくれた部下たちに、自分の考え方を伝える際に発せられました。
そもそもオスカルは、反発的だった部下に対して決して強硬的な態度を取らず、身分違いな相当無礼な態度を取られたとしても部下たちを見限ることはしませんでした。
その際には身分や立場に関係なく「心は自由だからだ!!」と言っていたのですが、ストーリーも終盤に差し掛かるころ、自らが以前部下たちにつたえた「心は自由だからだ!!」という言葉に付け加える形で、「自由であるべきは心のみにあらず!!」という言葉をのこしました。
つまりオスカルからのメッセージは「心は自由だ!そして自由であるべきは心のみにあらず!!」ということであるということが分かります。
そうなんです。『ベルサイユのばら』って、オスカルとマリー・アントワネットという何から何まで逆の存在を用いて描かれた『自由ってなんだろう』をテーマにした作品なんです。
身分と立場を捨て、革命側につき、思想に忠実に命を燃やしたオスカルは、戦闘のさなか作中で命を落とします。ただ、彼女が『自由』をつかみ取ったことは紛れもない事実です。
そして対象として描かれるマリー・アントワネットは、生まれてからその生涯を閉じるまで、ついにいちどたりとも『自由』になることはできませんでした。オスカルとマリー・アントワネット、この二人の違いは何だったのでしょうか?
2人の違い。それは『自ら選択したかどうか』というこの一点に尽きると思います。
マリー・アントワネットは幸せだったか?
一般的にはれだけ裕福でうらやましいと思われてもおかしくない状況でも、自由でなければ幸せとは言えないのかもしれません。そんな人生を送った代表格と言えるのがマリー・アントワネットした。
あまり詳しくなくても名前くらいは知っているという方も多いと思います。
14歳で政略結婚
フランス国王で会ったルイ16世の妻だった彼女は、王后(王様のお妃=女王)という立場であったにもかかわらず、フランス革命の波にのまれ、裁判にかけられた結果その命はギロチンの露と消えます。
壮絶な人生を送った彼女でしたが、母国のオーストリアからフランスへ嫁いだ時にはまだ10代も前半のあどけない少女でした。14歳でフランス王太子(後のルイ16世)と結婚しました(というかさせられた)。いわゆる政略結婚というやつですね。
夫であり王であるルイ16世はマリー・アントワネットとは全く違ったタイプの人間でした。
社交的で華やかな性格の持ち主で、宮廷の中心的存在として多くの人々を魅了したマリー・アントワネットとは対照的で、ルイ16世は王なのにもかかわらず、内向的で慎重な性格だったと言われています。
幼い頃から孤独を抱えて生き、趣味は狩猟と錠前づくりで機械工学や時計作りにも興味を持つタイプでした。
王というよりは優秀なエンジニアタイプで、現代に生まれていればきっとガンダムとか好きだったはずです。(ガンダムをバカにしているわけではなく私も好きです!)
ちなみにルイ16世がマリー・アントワネットと政略結婚させられたのは彼が15歳の時でした。社交的で華やかなマリー・アントワネット14歳と内向的でまじめなルイ16世15歳が大人の事情で結婚させられたのです。
学校で一番かわいくてスクールカースト上位に君臨するアイドル的存在の少女と、交友関係を広げていくことよりも自分の趣味に没頭することが好きな、まじめだけど地味で控えめな少年・・・こんな水と油みたいな2人が「はい、結婚してね。あ、ちなみに今の王様が死んだら君たちが次の王様と女王だからね」といきなり言い渡されたのです。
そんな二人の状況に『選択の自由』はあったのでしょうか‥‥。なかったはずです。
現実逃避で税金を使い倒す
ちなみにマリー・アントワネットは、若い頃は、結婚生活の不満や心の空洞を埋めるかのように、贅沢や遊興にふける日々を送っていました。賭博好きでもあり、いかさまに引っかかって国王が支払いをする羽目になったこともあったようです。
豪華絢爛で格式ばったヴェルサイユ宮殿の生活に息苦しさを感じていたマリー・アントワネットは、プチ・トリアノンという離宮を「私だけの世界」に作り上げることにのめりこんでいきます。私的な社交の場、田園趣味の追求、ファッションと芸術の拠点など・・・公職をないがしろにして、国が傾くほどの税金をプチ・トリアノン離宮に注ぎ込みました。(とはいえマリー・アントワネットが直接支払っているわけではないので彼女が正確に支出を把握してはいませんでした)
これだけ贅沢の限りを尽くしたマリー・アントワネットですが『幸せ』だったかどうかというと、決してそうではなかったんじゃないかなと思います。なんせ『選択の自由』がないですから。きっと、母国であるオーストリアでの幼かったころの思い出に思いを巡らせ、そしてどんどん状況が悪化していくフランスの国政に将来を憂いていたことだと思います。
『自らの人生を選択できないから、過去や未来にばかりとらわれていて、今この瞬間を生きることができない。だからこそプチ・トリアノンのような現実逃避にのめりこんでいってしまう。』という負のスパイラルですよね。
悲劇のヒロイン?
悲劇のヒロイン・・・と言ってしまえば聞こえはいいですが、当時のフランス国民からしたらたまったもんじゃありません。今日を生きるための食べ物ですら不足しているのに、ベルサイユ宮殿では連日連夜、豪華絢爛な生活が繰り広げられています。ちなみにフランス革命以前のフランス社会は、「アンシャン・レジーム(旧制度)」と呼ばれる、身分制度に基づいた不平等な社会でした。国民は大きく以下の三つの身分に分けられていました。フランスは第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(平民)ですね。3つの身分の内、税金を払っていたのは、なんと第三身分(平民)だけです。
一番生活が苦しい平民が税金を払い、贅沢の限りを尽くしている身分の人々は税金を納めていませんでした。そんな平民たちの不平不満は、最終的にマリー・アントワネットへ集約していくことになります。
王侯貴族への不平不満が頂点に達したことによりフランス革命は勃発しました。そんな中一番のヘイトを集めていた王族、特にマリー・アントワネットは、なんとその命をギロチンによる斬首刑という形で終えることになります。
14歳のころにオーストリアからフランスへ嫁いできたマリー・アントワネットは、本当に美少女でしかも天真爛漫な明るい性格だったため、王侯貴族からだけでなく、フランス全土から大歓迎を受けました。しかしたったの23年後。マリー・アントワネット37歳の時に、フランス全土から王侯貴族腐敗の象徴というレッテルを貼られ、怨念を浴びせされるなかその生涯に幕を閉じます。
幸せかどうかは選択したかどうか
マリー・アントワネットは幸せだったと思いますか?私は決してそうは思いません。どんなに贅沢な生活を送ることができていた瞬間があったとしても、人生の全体を通してあまりにも『選択の余地』がなさすぎます。
選ぶということは選択したもの以外を決めて断つことです。ちなみに『決断』は決めて断つと書きます。
決断しない、決断できない人生は不幸です・・・。
自分の理由で生きる
今回は名作『ベルサイユのばら』より名言を紹介させていただきました。
わたしはもともと『幸せってなんだろう』ということを考えるのが好きなんですが、『ベルばら』はまさにその問いに対してある一つの答えを示してくれるような作品でした。
私は個人的には『幸せ』=『過去を後悔せず、未来を恐れず、今この瞬間を生きることができている状態。選択肢があり、自ら選んだ道を進んでいる状態』だと思っているのですが『ベルばら』を読んで、「やっぱりそうだよね」という確証が得られました。
ベルばらはオスカルとマリーアントワネットの対比の物語と言っていいと思います。そして、極論ですが、オスカルは幸せだった、マリーアントワネットは不幸だった。と言ってしまっていいとも思います。
なぜなら、オスカルは自ら選択した道を歩み、過去を後悔せず未来を恐れずに今この瞬間を生きたからです。
逆にマリーアントワネットは自ら選択することは許されず、過去を後悔して未来を恐れてばかりの人生でした。
2人の置かれている環境をみてみると、一見オスカルはとても不自由でマリーアントワネットは自由なように思えます。オスカルは女性なのに男性として育てられ、その家柄ゆえに女性として生きることが許されていません。
逆にマリーアントワネットは生まれたときから王族で、10代半ばにして女王に即位します。金は無尽蔵に使いたい放題ですし、彼女に逆らえる者はいませんでした。
しかし、作品を通して、オスカルは『幸せ』でマリーアントワネットは『不幸』です。繰り返しになりますが、それは自ら選んだ道を歩めたかどうか。が大きな要因だと思います。
『自由』とは『自分の理由で生きる』こと、と解釈することができます。
自分の人生を自由に、幸せに生きるためには自分の生活を維持するための稼ぎは必要ですが、むやみやたらに稼ぐことだけにとらわれる必要はないのかもしれません。
なぜなら、現代の日本はフランス革命が起きた18世紀のころのフランスとは比べ物にならないくらい、わたしたち一般市民にも『選択の権利』が与えられているからです。
マリーアントワネットのように、置かれた状況を嘆き、自分の人生を悲観することはいつでもできます。しかしそんなことをしていても『幸せで自由な人生』は手に入りません。
『幸せ』や『自由』といったような普遍的なテーマを取り扱っているからこそ「自由であるべきは心のみにあらず!!」というオスカルの言葉は、今後も多くの人に支持され続けていくと思います。
超名作『ベルサイユのばら』
『ベルばら』はタイトルが超有名なので、読む前からオスカルというキャラクターがいてめちゃくちゃイケメンだけど実は女性。という情報はなんとなく知ってはいましたが、まさか女性であることは全く隠していないということは知りませんでした。
勝手に女性ということを周囲に隠して社会的には男性として生きる主人公の苦悩を描く・・・というようなストーリーを想像していたのですが、そんなドラマは全く描かれません。
そもそも『ベルばら』は『少女漫画』という枠に収めるにはあまりにもスケールが大きすぎます。そうですね・・・たとえるならば、太宰治の『人間失格』って、小説っていうよりももはや『人間失格』じゃやないですか。『人間失格』っていえば、読んだことない人でも「あー、有名な小説の?」ってなりますよね。『ベルばら』もおなじで『ベルサイユのばら』っていえば、読んだことない人でも「あー、有名な少女漫画だよね?」ってなります。
ジャンルの枠を超えてタイトルが一般常識のように多くの人に知れ渡っているということは、何年ものあいだ世代を超えて読み継がれてきたという事実の裏付けですよね。
事実として『ベルばら』は名作中の名作です。実は連載はそこまで長くなく、単行本は全9冊です。文庫本なら5冊に収まるくらいのボリュームです。ただ、決して中身が薄いというわけではなく、マリー・アントワネットとオスカルの10代半ばの頃の出会いから、両者が30代になるまでの半生を追いつつ、最終的にはフランス革命のピークまでを描き切っています。ほぼ大河ドラマです。
わたしは2025年現時点でアラフォーのおっさんなのですが、つい最近『ベルばら』をすべて読み終わりました。50年前の作品なので絵柄が古く感じる場面もあるのですが(特にギャグシーン)そんなことは全く気になることなく、一気にラストまで読み進めてしまいました。もっと早く、学生の頃に出会っておきたかった作品でした。(そうすれば世界史がもっと好きになれてたかも)
中古の文庫本はコスパ最高ですが装丁が新旧バージョン混ざっているため注意です。(ラッキーな場合は装丁が統一されていることもあるようですが)
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