名言ノート57|責任から逃げるな|【鬼滅の刃】

人生観
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責任から逃げるな

全文はこちらです。文字だけでもかなり感情的なシーンであることが分かります。

貴様アアア!!逃げるなアア!!!

責任から逃げるなアア

お前が今まで犯した罪 悪業

その全ての責任は必ず取らせる

絶対に逃さない!!

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言った人

竈門炭治郎
『週刊少年ジャンプ』(集英社)で2016年から2020年まで連載され、単行本の累計発行部数は電子版を含め1億部以上を突破した国民的マンガ『鬼滅の刃』の主人公です。
竈門炭治郎は、その優しさと真面目さ、そして揺るぎない芯の強さが特徴的な少年です。

どんなシーン?

まず『鬼滅の刃』がどんな作品なのかを簡単に説明します。

物語のあらすじ

物語の舞台は大正時代の日本です。主人公の竈門炭治郎(かまど たんじろう)は、家族とともに穏やかな日々を送っていました。しかしある日、町へ炭を売りに出かけた間に家族は鬼に惨殺され、唯一生き残った妹の禰豆子(ねずこ)も鬼に変えられてしまいます。

鬼に変えられた禰豆子を人間に戻すため、そして家族の仇を討つため、炭治郎は「鬼殺隊(きさつたい)」という鬼と戦う組織に入隊します。鬼殺隊に入った炭治郎は、同期の我妻善逸(あがつま ぜんいつ)や嘴平伊之助(はしびら いのすけ)といった仲間たちと共に、凶悪な鬼たちと命がけの戦いを繰り広げながら成長していきます。

名言のシーン

『鬼たち』はあらゆる面で『人間』とは対照的な存在として描かれています。

例えば不老不死、自己修復能力、圧倒的な身体能力、冷徹な思考回路、卑劣さ、非常に殺傷能力が高い超能力(血鬼術)・・・といったような、とにかく『人間らしさ』という言葉から連想されるあらゆる要因をすべてひっくり返したのが『鬼たち』だと認識すればまず間違いないです。

主人公の炭治郎が「責任から逃げるなアア」と激昂するシーンは、そんな鬼たちの中でも特に臆病で卑屈、自己中心的な性格が特徴である『半天狗』という鬼との死闘の最中です。

『鬼たち』は『人間』との対比だと定義しましたが、そんな中でもこの『半天狗』はまさに『炭治郎』と何から何まで対照的な存在として描かれています。『鬼たち』は人間を圧倒的に上回る身体能力や固有の特殊能力によって、タイプは違えどそれぞれがかなり傲慢な性格をしています。

ただ、この『半天狗』だけはそんな鬼たちの中でもかなり特殊な存在で、人間を恐れています。他の鬼たちには顕著にみられる戦いを好む傾向も全くなく、戦闘は基本的には『本体は安全なところに隠れて、万が一やられても自分は死にはしない分身のような存在』に任せっきりです。

臆病で卑屈、自己中心的な性格ならほっといてもいいのでは?と思うかもしれませんがそうもいきません、鬼たちには絶対的な君主である『鬼舞辻無惨』という『王』がいるため、彼に命令された鬼は徹底的に人間の命を取りに来ます。

少し話がそれてしまいましたね。『炭治郎 VS 半天狗』ですが、毎度のことながら炭治郎はズタボロになりながら何度も窮地に追い込まれるも、これまでの鍛錬で培ってきたすべてを注ぎ込んだうえで、さらに極限状態での気合と根性を限界まで絞り出してなんとか半天狗を追い詰めます。

半天狗の戦闘スタイルは『本体は隠れて、倒されても本体には影響が及ばない分身に戦ってもらう』です。

しかし、炭治郎は自身がひん死になりながらも、なんとか半天狗の本体を倒せるかどうかの瀬戸際までたどり着きます。そこで半天狗がとった行動は・・・そう、『逃亡』です。

これ、鬼側からしたらいたってまともな行動原理なんですよね。鬼は死にさえしなければ驚異的な自己修復能力によっていくらでも万全の状態に復活できます。人間たちが『決死の覚悟』で挑んでくる中、鬼たちは圧倒的な実力差のうえに『死にさえしなければOK』という条件で戦っているので、そもそもかなり不公平な条件ではあります。

じっさい、半天狗だけではなく、窮地に立たされた鬼は逃走する傾向があります。無限列車編で超有名な猗窩座も逃げます。

ただ、他の鬼と半天狗には決定的な違いがあります。それは『自分で戦っているかどうか』ですね。

半天狗は最後の最後まで本体である自分自身が戦闘することを割けます。分身に散々たたかわせておいて多くの人間を葬っているのに、いざ本体がつかまりそうになったら「弱いものいじめをォするなああああ!!!!」ですからね。

これには炭治郎も一瞬怒りを忘れて頭の中が『????』で埋め尽くされたことでしょう。炭治郎は思いやりがあって優しい性格なので人に対して怒ることはまずありません。しかし、半天狗の怒りはどこまでいっても自分自身のための怒りです。

余りにも理不尽すぎる半天狗の性格、価値観、行動原理にさすがの炭治郎もブチ切れたんでしょうね。で、発せられた言葉が

「貴様アアア!!逃げるなアア!!!」

だったんです。

このセリフは炭治郎だからこそギリギリ許されるセリフです。

炭治郎は本当に思いやりのある誠実な青年なので、鬼を退治するためには自己犠牲を全く厭いません。どんな不条理でも正面から受け止め、普通なら心が折れて廃人になってしまうような状況でも、何度も何度も立ち上がり、前向きに歩を進めていきます。

そんな炭治郎ともいえど「責任から逃げるな」という強烈な言葉を発したことによって、たとえそれが鬼という醜悪な存在に対することばだったとしても、連載当時はかなり話題になっていました。

なぜこんなに話題になるのか言うと、ズバリ、多くの読者(特に大人)のこころに、鋭く、そして深くグサッと刺さったからだと思います。私ももれなく衝撃を受けた一人でした。

ボールはどこへ消えた?

だれしも生きていれば大小なり、「責任から逃げたことがある」という負い目を背負って生きていると思います。この世に生を受けてからいままで、全く責任から逃げたことがない!という人間は一人もいないんじゃやないでしょうか?

かくいう私も、「責任か逃げたこと」という言葉からはこれまでの人生においていくつかの苦い経験をつい昨日起きたことのように鮮明に思い出すことができます。

ここで少し自分語りをさせてください。わたしが「責任から逃げた」エピソードを紹介させていただきます。

小学校4年だったか5年だったころに、クラスで所有していたゴムボールを紛失してしまい、ついに先生に打ち明けることなくうまむやになってしまった話です。

私が通っていた小学校は、高学年になるとクラスにひとつ、クラス共有のゴムボールが与えられていました。

ダイソーとかでも買えるような、ピンクとか青い色のバスケットボールくらいの大きさのゴムボールです。スイカを持ち運ぶ時に使うようなアミに入れてあって、教室の黒板の近くの窓際に吊るしてありました。

クラスでゴムボールは超人気アイテムでした。小学生なんで隙があればドッヂボールがやりたい年頃です。

ちょっと長い休み時間になるたびにゴムボールは速攻でグラウンドに持ち出され、男子女子問わず結構な人数でドッヂボールをやってたように記憶してます。

ちなみに、たしかかのゴムボールはあくまでも休み時間専用のアイテムで、体育の授業でドッヂボールのようなボールを使う場面では授業専用のボールが使われてたと思います。(当時は気にしてなかったけど今思えばバレーボールだったかも)

そんな感じでクラス所有のゴムボールはかなり使用頻度がたかい人気アイテムでした。

休み時間のチャイムが鳴り、ドッヂボールが中断される、とゴムボールは最後に持ってたひとがそのままクラスまで持って帰ってました。

ゴムボールが私のクラスからなくなったあの日に、最後に持ってたのが私でした。

私が通っていた小学校は下駄箱が一階にあって、その真上の2階に職員室があるという構造でした。下駄箱は学校の玄関みたいなものなので、日除けなのか雨除けなのか、下駄箱の間口と同じ幅だけひさしが貼り出してました。

これは私が通っていた小学校では無いですがまさにこんなイメージです。

このひさしの、正面側に向いている狭い板のところにボールを投げて当てて、跳ね返ってきたボールをキャッチしつつ玄関をくぐって下駄箱に向かう。というのがトレンドになってました。

私はいつも通り、ひさしめがけてボールを投げたんですが、ボールは勢いあまってひさしの『上』に消えていってしまいました。数秒待ってみてもボールは落ちてきません。

「やっちまった‥‥‥」

とはいえちょっとしたイタズラ心でボールがひさしのうえに行ってしまっただけなので、一言、担任の先生にでも伝えればボールは返ってくること間違いなしです。

しかし私は、結局、学年がかわるまでそのボールのことを先生に言えませんでした。

先生方はうちのクラスにボールがなくなったことは速攻で気づいていたはずです。まずそもそもクラスにボールがない。そしてそれらしいボールは『職員室の真下』のひさしの上に転がっている。職員室の窓側にひさしが張り出すかたちになっていたので、先生方は絶対にボールに気づいていたはずです。

私は「怒られるのやだな」とか「めんどうだな」という気持ちに負け、「先生が言ってくるまで待ってよう」と言う姿勢を取ることに決めました。

そう、まさに責任から逃げたんです。

しかし、何日たっても先生からボールの件についての話はなく、クラスにはボールがない状態がずっとつづきました。3日くらいたったころにはすでに、自分から言い出す勇気は消滅していて、最終的には、いつボールを無くした事実が白日の目に晒される中を、ビクビクと、怯えながら過ごす毎日でした。

家に帰っても心のどこかに常にひさしの上のボールを気にしている自分がいて、特に夜寝る前なんかは見つかって大騒ぎになる妄想にとらわれていてりしました。今思えば、勉強の出来が悪くなってきたのもこのあたりだったかもしれません。これは言い過ぎか。笑

とにかく、自分はほんの少しの手間と勇気を惜しんだことで、その後かなり長い間、自責の念に苦しむことになりました。ひさしの上にボールを投げてしまったときに、クラスメートが玄関に駆け込んでいく中で自分が最後尾だったのも良くなかったです。

私がボールを紛失した瞬間を目撃していたクラスメートはほとんどおらず、その後もクラスでは『なんかいつからかボールがなない‥‥』と曖昧な感じになっていました。

クラスメートからは指摘してもらえず、親にも言えず、ボールのことが話題になることを、うっすら、けれどもずっと心の片隅で考えながら生活してました。つまり、自分に嘘をつき続けながら生きてました。正直辛かったです。

結局ボールがクラスに戻ることはなく、そのまま学年があがったことで、ボール紛失事件はうやむやなままになってしまいました。

この経験がきっかけで『逃げグセ』がついてしまった私は、そこそこいい大人になるまで『本当は今動いたほうが絶対にいい!』というタイミングで逃げることを選択する機会が多かったです。もちろん全部のことから逃げてたわけではないですが‥‥

色々と経験して逃げグセはだいぶ改善されましたが、今でも仕事で厄介ごとが巻き起こると、ふとボール事件のころの感覚が蘇りそうになることがあります。

このボール(厄介ごと)を気づかれないところに隠して、前みたいにしらばっくれてればいつかきっとなんとかなるんじゃないかな・・・。そんなわけないんですよね。

ボール(本当は解決しなければいけない厄介ごと)を物陰に押し込んで見えないふりをしてても、必ずこころのどこかでひっかかり続けます。そのひっかかりは自責の念になります。

課題を無視し続けるとは自分自身に嘘をつき続けることです。

自分自身に嘘をつき続けると自分が嫌いになってきます。卑屈な人間の出来上がりです。

私は、もう絶対にボールをひさしのうえに放置したままにしないと決意しています。

けれどもたまに、心の奥の方から無意識が囁いてくることがあります。

「ほっとけば誰かがなんとかしてくれるんじゃね?」と。

大なり小なり、生きてたら誰しもこんな感じの葛藤を抱えて生きてるんじゃないでしょうか?

そこに炭治郎の

「責任から逃げるな!!」

ですからね。これは刺さらないわけがないです。

炭治郎の言葉だから刺さる!

なんだかんだこの世の中、『何を言われたか』ではなく『誰に言われたか』の方が重要だったりします。

正論である、的を得ている、本質をついている、といったことは大前提として、放たれた言葉が『相手の心に届くかどうか』という点に関しては、言葉の中身よりも『誰が言ったか』が大きく左右するものです。

鬼滅の刃という作品を通して、読者や視聴者は、炭治郎に同情します。好き、嫌いは別として、人間であれば炭治郎に同情しないわけがありません。

炭治郎はどんなに理不尽で絶望的な状況でも絶対にあきらめません。それは彼が強いからではなく、正しく生きようと心に決めていて、絶対にその決意を守り通そうとするからです。別の言い方をすれば、絶対に自分に嘘はつかないと決意し、誠実に守り続けているとも解釈できます。

私たち読者や視聴者は、炭治郎が不条理にも負けず、絶望的な状況から逃げたい気持ちを押し殺し、どこまでも誰かのために命を懸ける姿を見ています。だからこそ、彼のが言う「責任から逃げるな」という言葉に心を打たれるんじゃないかなと思います。

『責任から逃げるな』という言葉はかなり強烈でストレートです。いわゆる偉人の名言のような、ちょっとと言い回しが遠回りだけど、意図を理解すると深い感動を味わえるような性質の言葉ではありません。

『責任から逃げるな』という言葉には隠された意図なんて何もありません。純度100%の何も『責任から逃げるな』というメッセージが込められていることがまっすぐ伝わってきます。

なので、向けられた人によっては怒りや嫌悪感といった負の感情を抱きかねません・・・が「あの炭治郎がそう言ってんだから仕方ないか」・・・という炭治郎というキャラクターに積み上げられた信頼あってこそ絶妙なバランスで成り立つセリフではないかと思います。

結局、だれもが『あの時逃げた責任』に対して信頼できる誰に向き合ってもらい、そしてしっかり叱ってほしかったという思いを抱えて生きているんだと思います。

炭治郎の『責任から逃げるな』というメッセージは、子供から見れば頼りになる主人公が卑怯な敵に喝を飛ばすかっこいいシーンに見えます。

大人からの視点では、自分よりかなり若いけど、しかし人間として『清く、正しく、美しく』生きる、ある種のあこがれの存在が叱ってくれているような感覚を得られる構造になっているんじゃないでしょうか。

だからこそ鬼滅の刃という大ヒット作品の中でも多くの人の心に刺さった名言として知られることになったんだと思います。実際、Googleで『炭治郎』とスペースで検索すると、結構上位に『逃げるな』というワードが上がってきます。『逃げるな』とはもちろん『責任から』という意味でしょう。

鬼滅の刃の原作自体はかなり前に完結し、連載が終了してますが、アニメシリーズはまだ完結していません。今年の夏には最終章の無限城編の第一部が公開されます。また日本に『鬼滅の刃』旋風が巻き起こりそうですね!

『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』特報第2弾
劇場版「鬼滅の刃」無限城編2025年公開決定 ここが決戦の場――特報:【スタッフ】原作:吾峠呼世晴(集英社ジャンプ コミックス刊)監督:外崎春雄キャラクターデザイン・総作画監督:松島 晃アニメーション制作:ufotable【公式サイト】




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