今回紹介させていただく名言はこちら!
言った人
どんな人?
ピーター・ドラッカー(Peter F. Drucker、1909年 – 2005年)は、オーストリア出身の経営学者、経営コンサルタント、著述家です。彼は「マネジメントの父」や「マネジメントの発明者」と呼ばれ、現代の経営学に多大な影響を与えました。
ピーター・ドラッカーは企業は単なる利益追求の組織ではなく、「顧客を創造し維持することにある」と考え、社会貢献を重視しました。ドラッカーの思想は、没後もマネジメントの分野だけでなく、仕事のあらゆる分野で影響を与え続けています。
「マネジメント」の体系化
人類史上初めてマネジメントという分野を体系化した人物とされています。ビジネスの場面で「マネジメント」という言葉を初めて使用したとも言われています。
社会生態学者としての視点
自らを「社会生態学者」と称し、社会全体と組織の関係性、そしてその中での人間の役割について深く考察しました。物事の本質を見抜く鋭い洞察力を持っていました。高齢化社会の到来、ソ連の崩壊、知識社会の重要性など、後に現実となる多くの変化を予見していました。
多岐にわたる活躍
大学で法学の博士号を取得後、証券アナリスト、経済記者などを経て、アメリカに移住。大学教授としてニューヨーク大学やクレアモント大学院大学などで教鞭を執りました。また、多くの企業の経営コンサルタントも務めました。
数多くの著作
生涯にわたり39冊の著作を刊行し、マネジメントだけでなく、社会、経済、哲学など幅広い分野で執筆しました。代表作には『現代の経営』や『マネジメント』などがあります。日本では『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』という作品が流行ったこともあり、ドラッカーの名前は『もしドラ』で知ったという人も多いかもしれません。
日本との関係
日本にも度々来日し、日本の経済発展や経営に貢献したとして、1966年には日本政府から勲三等瑞宝章を受勲しています。日本古美術の収集家でもありました。
権力と責任
『地位は権力ではなく責任である』ということばからは、なんだか社長とか、経営者とか、政治家とかといったような、権力者にたいする戒めの言葉のような印象を感じてしまいます。ただ、より深く解釈することで、そんな雲の上の存在たちだけに村れた言葉ではなく、生きてれば誰にでも当てはまる至言であることがわかります。
出世できたら優れた人間なのか?
会社では業務を円滑に進めるために役職制度があります。まずは平社員、次に主任で、係長、課長、部長、といったような具合ですね。
一般的に役職がついたり、今の役職よりも上がると『偉くなったね』と言われることが多いです。
どうやら社会では、平社員よりも主任の方が偉くて、主任よりも係長のほうが偉くて、さらには課長の方が‥‥というピラミッドのような階級制度が暗黙の了解として認められているようです。
けど、実際には、役職が高い人のほうが役職が低い人よりも人間的に優れていたりするかというとそうではないはずです。
役職というのはあくまでもその会社の中だけで成立する、限定的な『ラベル』みたいなものです。
ピンと来るかどうかはわからないですが、地方の遊園地にいって一日アトラクション乗り放題のチケットを買うと、紙とかビニールでできた手首に巻くブレスレットみたいなものを付与されることがあります。このブレスレットをつけていれば、店員は乗り放題チケットを買った客だと理解できるからです。
会社でいうとこの『役職』はこの遊園地の一日乗り放題を可視化した『ブレスレット』と同じです。当然ながら、ブレスレットの効果は遊園地の中だけだけに限定されます。帰りの新幹線でもブレスレットを駅員に見てつけて、「一日中乗り放題だろ!?」とまくしたてたらまず間違いなくヤバい奴として認識されます。
原理原則を考えれば、会社の役職だって同じはずです。ひとたび仕事の場を離れたら、プライベートの場でばったり上司と会ったとして必要以上に媚びへつつらう必要はないはずです。
そう、本質的に、役職というのはあくまでも役割であって階級であであってはいけないんですよね。
私はこれを
『役職はRole(ロール=役割)であってRank(ランク=階級)ではない』
と定義しています。ことあるごとにいろんな場面でよく思い返すよういしています。
ただし、世間的には仕事の役職がそのままその人の優秀さというか能力に直結して捉えられることが多いです。平社員だと人間的にイマイチで、部長なら優れた人財であると‥‥
そしてそのままその認識が24時間365日付き纏い、会社が違う友人同士でも、やれ昇進しただの、出世コースの部署に異動になっただの、はたまた落ちこぼれコースの出向を命じられただのといった世間話がのみの席では繰り広げられています。
役職はただのラベル
しかし!役職というのは本来、その役職が与えられた人間そのものの評価を保証するものではありません。あくまでもその人が取れる範囲の責任を明確にするためのラベルでしかありません。
一般的に役職があがれば上がるほど、実際に手を動かすルーチン的な業務は減っていって、その反面、トラブル対応や人間関係の調整、人事評価などといったような抽象的な仕事を受け持つようになります。
役職が低い人は『作業』を担当して、役職が高い人は『仕事』を担当していると言ったイメージですね。
『単純作業』よりも、『多くの人とかかわる仕事』のほうが複雑性が高く、総合的な経験やスキルが必要である場合が多いです。その複雑さゆえにストレスやプレッシャーも多く、もちろん多くの人が関わる分、責任も増えます。
役職が上がるごとに給料が上がっていくのは、この責任の大きさとプレッシャーへの手当のようなものだと、私は理解してます。
とはいえ、全員が役職者の仕事をやれば責任もプレッシャーも分散されてみんなハッピーというわけには行きません。
仕事というか企業活動の本質は問題解決なので、作業をする一般社員がいなければプロダクトおよびサービスは顧客に届きません。プロダクトやサービスを提供し続ける以上、イレギュラー対応は必ず発生するので、それらに責任を持って対応する役職者の存在も必要不可欠です。
違いは人間としての偉さではなく『役割』
一人一人の人間からしたらヒラ社員と、役職者は全く違った立場に見えますが、ひとつの企業の中の企業だと考えると、あんまり違いはありません。違いは『役割』でしかありません。人間の体に例えると、骨か筋肉かくらいの違いではないでしょうか。ちなみに心臓とか脳までの唯一無二のパーツともなると、それはもはや1人の人間ではなく、プロダクトやサービスの『信頼』とか、これまでの会社の『歴史』とか概念的なモノが当てはまるかと思います。
この、仕事における『役職』に対する捉えかたかたを、もっと広く、普遍的な解釈で言い表した言葉が今回紹介させていただいているピーター・ドラッカーの言葉です。
主任、係長、部長といった仕事だけの役職だけでなく、『父親』とか『母親』とか『先生』とか『先輩』とかもある意味地位と解釈することができます。
自分が実際に接する人だけに絞らず、社会全体で考えたら、自分より早く生まれた人はすべからくその全員が『人生の先輩』ですし、逆に自分より年下は『人生の後輩』です。社会に生きる一人の人間として、先輩だからこそ負う責任、後輩だからこそ負う責任があると思います。
けっして、早く生まれたから人間として偉い。遅く生まれたから人間として劣っているなんてことはないはずです。あってはいけません。
地位による権力を振りかざしてくる人に対する対処法
地位にあぐらをかいて権力を振りかざそうとする人は、根底に自分自身への不安があるんだと思います。人間性や能力といった普遍的な要因で誇れるものがないため、横柄な態度になったり、傲慢な指示を出したりするようになってしまう人もいます。
しかし『地位』はあくまでもただのラベルです。組織が変われば通用しないですし、そもそも自分がその地位を与えられている組織自体がなくなってしまえば、地位もろとも跡形もなく消え去ります。
その地位を与えられているのはあくまでも役割を果たすためであり、地位によって人間として優れていると認められているなどとは考えない方がよさそうです。そして役割には必ず責任が伴います。意識を向けるべきは地位そのものではなく、役割や責任のほうなんですよね・・・。
とはいえ地位の上に成り立つ権力を振りかざすことにとらわれてしまっている人に対して、真正面から否定することはおススメしません。相手のレベルに自分を落とすことはありません。
やるべきことはただ一つ、自分を磨くことです。そうしていれば長期的に見れば必ずあなたは相手が攻撃してくる対象から外れることができるはずです。なぜなら、相手は地位で攻撃する相手を選んでるからです。一種の皮肉ですね。笑
まとめ
今回紹介させていただいた明言はこちらでした!
お知らせ
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