今回紹介させていただく名言はこちら!
大事なことは鏡をみがくことです。
芸術は単なる模倣や模写ではないことを示しす言葉です。芸術家は、自然界や現実の世界をただそのまま写し取るのではなく、それを自分自身の内面、つまり人間の意識や感性を通して受け止め、表現します。自然の風景が、見る人の心を通して解釈され、感情や思想が加わることで初めて「芸術」として成り立つという考え方です。つまり鏡=自分自身というように解釈することができますね。
言った人
Auguste Rodin
オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin)は、19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの彫刻家です。近代彫刻の父とも称され、その作品は感情豊かな表現、肉体的なリアリズム、そして内面的な葛藤を深く掘り下げたことで知られています。
ロダンは、古典的な理想化された美から離れ、人間の苦悩、喜び、欲望といった感情をありのままに表現しようとしました。そのため、当時の伝統的な美術界からは批判も受けましたが、その革新性は後の彫刻家たちに大きな影響を与えました。
ロダンの作品は世界中の美術館に収蔵されており、彼自身の名を冠したロダン美術館(パリとムードン)でも多くの作品が展示されています。オーギュスト・ロダンは、感情とリアリズムを追求し、近代彫刻に革命をもたらした偉大な彫刻家であると言えます。
ロダンの代表作としては、以下のようなものがあります。
『考える人』 (Le Penseur)
地獄の門の一部として制作された、深く瞑想する男性像です。
『地獄の門』 (La Porte de l’Enfer)
ダンテの『神曲』に触発された巨大な彫刻作品で、多数の人物像が配置されています。
『カレーの市民』 (Les Bourgeois de Calais)
英仏百年戦争中のエピソードを題材にした群像彫刻です。
『接吻』 (Le Baiser)
情熱的な抱擁を交わす男女の姿を描いた作品です。
芸術は『問い』を立て、化学は『答え』を求める
芸術は、社会をはじめとするあらゆる人間の営みにに対する『問い』の役割をしていて、化学がその『答え』(らしいもの)を提示する役割であるという説があります。
芸術の役割:問いを立てる
芸術は、絵画、彫刻、音楽、文学、演劇など多岐にわたる表現を通じて、私たちに様々な「問い」を投げかけます。それは例えば、
- 「人間とは何か?」
- 「美とは何か?」
- 「社会はこれで良いのか?」
- 「感情の根源はどこにあるのか?」
といった、普遍的で深遠なテーマに及ぶことがあります。芸術家は、独自の視点や感性を通して、既存の価値観や常識を揺さぶり、新たな視点や解釈を提示することで、鑑賞者に自ら考えることを促します。明確な答えを提示するのではなく、問いかけそのものに価値があると言えるでしょう。
既存の価値観の「破壊」
そもそも、とくに宗教改革時代後の芸術が担う役割の本質は「破壊」です。その時代の既存の常識、慣習、美の基準、道徳観といったものに疑問を投げかけ、時には真っ向から否定し、「破壊」する役割を担います。これは、単に反抗的であるというだけでなく、形式の破壊であったり、テーマの破壊であったり、既成観念の破壊であったりします。
特に有名なのがデュシャンの「泉」ですね。マルセル・デュシャンの「泉」(Fountain)は、「美しいものが芸術である」という既成概念の破壊に最も成功した作品の一つであり、20世紀の芸術史において極めて重要な転換点となりました。
「泉」は、1917年に発表された作品で、既製の男性用小便器に「R. Mutt」という署名をし、逆さまにして台座に乗せたものです。この作品は、ニューヨークの独立芸術家協会展に出品されましたが、展示を拒否されました。
破壊された既成概念
「泉」が破壊した「美しいものが芸術である」という既成概念は、以下のような要素を含んでいました。
- 「手仕事」「技巧」の重視: 伝統的に芸術作品は、画家の筆致や彫刻家の鑿(のみ)の跡など、芸術家の卓越した手仕事や技巧によって生み出されるものとされていました。しかし、「泉」は既製品であり、デュシャン自身は何も「制作」していません。
- 「美的価値」の追求: 芸術作品は、鑑賞者に美的快感や感動を与えるものであり、そのために美的な造形や色彩が追求されていました。「泉」は、公衆便器という日常的で、むしろ不潔なイメージすら持つものであり、一般的に「美しい」とは見なされませんでした。
- 「独創性」の神聖視: 芸術家は、独自のアイデアやビジョンを形にする創造主として崇められていました。「泉」は、既製品を選び、署名するだけであり、従来の「創造」の概念とはかけ離れていました。
- 「芸術作品」の定義: 何が芸術であり、何が芸術でないかという明確な線引きが存在し、美術館や画廊といった場所で展示されるものが芸術とされていました。「泉」は、この定義そのものに挑戦しました。
科学の役割:答えを探求する
一方、科学は、観察、実験、分析、論理的思考といった体系的な方法を用いて、現象のメカニズムや法則を解明し、客観的で検証可能な「答え」を探求します。例えば、
- 物理学:宇宙の成り立ちや物質の挙動
- 生物学:生命の神秘や進化の過程
- 心理学:人間の心の働き
それぞれ探求し、仮説を立て、それを検証することで、「らしいもの」としての答えを導き出します。科学の「答え」は、常に絶対的なものではなく、新たな発見や知見によって更新される可能性を秘めていますが、現時点での最も確からしい説明を提供します。
芸術作品を通して自分をみつめる
芸術に触れることの一番のだいご味は、自分自身を見つめることだと思います。
芸術は、絵画、彫刻、音楽、文学、演劇など多岐にわたります。それぞれが文化として残っていることから、一定の人に支えられ続けてきたということは明確です。しかし、実際に美術館へ足を運んでみたり、名著と呼ばれる書籍を開いてみると、思いがけない発見があったりします。
「なんでこれが名作って呼ばれてるのか、まったく理解できない・・・」
と思ってしまうような作品に多く出会うことになるはずです。それは決して自分自身が何か世間と比べて劣っているとかではなく、単純に自分の価値観や感性に合わないというだけです。
なぜそれらの名作と呼ばれている作品が素晴らしいという評価を得ているのかというと、特にルネッサンス以降の時代の芸術作品においては、既存の価値観を破壊することに成功したことが評価されているケースが多いです。
コンテンポラリーアートといったような総称で呼ばれることがありますがそれらの作品は意図して価値観の破壊を最重要視しています。直感で「良い」と思えなくて当然、なんなら直感で「良い」と思えないからこそ芸術だというとらえ方すらできます。
少し話がそれました。意図的に価値観の破壊を狙った芸術作品も多い中、意図せずに作者の内面が浮き彫りになっているような芸術作品も多くあります。例えばゴッホの作品からは、本当に「いい絵が描きたい!」という思いというか、執念がそのま前になったような鬼気迫る迫力を感じざるを得ません。
そういった作品から得られる『印象』を、よいと思うか、好きではないと思うか、それともなんとも思わないか、はたまた全然値が売印象を受けるのか・・・それはもう、作者がどうこうできる領域を超えています。作品と鑑賞者の対話であり、つまるところ鑑賞者自身による自分という内面との対話であるとも言えます。
と、いうところまで理解したうえでロダンの名言をもう一度見てみましょう。
大事なことは鏡をみがくことです。
また違った印象を受けるのではないでしょうか?
人の営みが続いていく以上、芸術はなくならないと思います。なぜななら、ヒトの営みが『問い』そのものでもあるからです。
わたしはまだまだアートファンとしてはビギナーですが、これからもマイペースに芸術の世界を楽しんでいきたいと思っています。
関連情報
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