【本要約】Humankind 希望の歴史【人間の本質は善です!】

スキル系
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最近発売された『Humankind 希望の歴史』って本の評判がいいらしい。ちょっと気になって調べてみたら上下巻で1冊1,800円+税!?2冊とも買うと4,000円近くするじゃん・・・。話題だからどんな内容か気になるけど4,000円はちょっと高いし本を2冊読んでる時間もないなぁ。概要だけサクッと知りたいな
悩んでいる人

と、言うあなたの為に『Humankind 希望の歴史』を全部読み終わったので要約記事を書きました。


結論だけ初めに言ってしまうと、この本が伝えようとしていることは

「人間の本質は実は善である(性善説)」

ということです。

この記事の概要

〇『Humankind 希望の歴史』とはどんな本か?
〇人の本質は悪だと思い込まされている
〇価値観が変わる!有名な常識のホントウの姿
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『Humankind 希望の歴史』とはどんな本か?

『Humankind 希望の歴史』はオランダ出身の歴史家でジャーナリストでノンフィクション作家でもある「ルドガー・ブレグマン」さんによって執筆されました。ルドガー・ブレグマンさんは1988年生まれなので2021年時点で33歳です!若い!

『Humankind 希望の歴史』は2020年にオランダとアメリカで発売されました。発売直後から「人間の本質に迫る大作」、「希望の書」として話題になりました。日本と比べて人口が約6分の1のオランダでたちまち25万部を突破するベストセラーになりました。(つまり日本なら150万部の超ベストセラー

『Humankind 希望の歴史』のテーマは大きく分けて2つあります

  1. 人の本質は善か悪か(性善説VS性悪説)
  2. なぜ人の本質は善なのに、私たちは地球上でもっとも残酷になれるのか

いきなりネタバレですが、『Humankind 希望の歴史』では「人の本質は善か悪か」という問いに対して「人は善である」という回答を出します。とはいえ、作者のルドガー・ブレグマンさんはもとから人の本質は善であるという意見を持っていたわけではありませんでした。むしろ元々は「人類の本質は悪である」といういわゆる「性悪説」を支持していたようです。

『Humankind 希望の歴史』のなかで、過去に「性悪説」を裏付けるような事例を取り上げた書籍を執筆していたことを告白しています。今ではその書籍を読むことがとても苦痛だということを告白しています。

もともとは「性悪説」を支持していたルドガー・ブレグマンさんが、過去に行われた人間性の本質を探究する有名な実験や、過去に起きた悲惨な事件の真実を紐解いていく過程で「人間ってやっぱり根っこの部分は善なんじゃん」という結論に至るのが『Humankind 希望の歴史』の上巻の部分です。

人の本質は悪だと思い込まされている

ベニヤ説」というものがあります。

人間は本質的に利己的で攻撃的で、すぐにパニックを起こす、人間の道徳性は薄いベニヤ板のようなものであり、少々の衝撃で簡単にやぶれ、めくれてしまう

という考え方です。『Humankind 希望の歴史』ではこの「ベニヤ説」を真っ向から否定します。

とはいえ「ベニヤ説」は長い年限をかけて人類に浸透してきた考え方です。

たとえばとてつもなく大きな地震がきてしまったことを想像してみてください。そこら中の建物が崩壊し、水や電気といったインフラがすべて止まってしまったとしましょう。日常とはかけ離れたとても過酷な環境にさらされた時、人は自然と助け合うでしょうか、それとも奪い合ったり騙しあったり傷つけあったりと、互いを攻撃しあってしまうでしょうか。

こういった質問をされると、結構な人が「いやー、人間の本質は残酷だからね。結局、秩序が崩壊したらやりたいほうだいになっちゃうんじゃないかな」と答える人が多いのではないでしょうか。いわゆる「性悪説」を支持する返答です。

『Humankind 希望の歴史』ではこのように、人々は基本的に「性悪説」を支持するようにコントロールされていると主張します。

理由はふたつです。

ほとんどの人が人間の本質は悪だと思い込まされている理由1

ひとつめの理由は、そのほうがエライひと達にとって都合がいいからです。

例えば政治を例にとって考えてみても「人の本質は悪である」という前提があったほうが「人の本質は善である」という考え方よりも民衆を管理しやすくなります。

「人の本質は悪である」という前提であれば「だから民衆を管理するシステムが必要だ」という主張がしやすくなります。そのうえで、うまく管理ができなかったとしても「やっぱり人の本質は悪だからそう簡単には管理できないよね。次はもっと良い管理の方法を考えよう」の一言で片付いてしまいます。性悪説は無限に問題を後回しにできてしまう、とっても便利な考え方なのです。(権力者にとっては)

ちなみに、「人の本質は悪である」ということを人々に思い込ませて権力を維持、行使しようとする人たちには「赤面しない」という共通の特徴があるようです。赤面は相手に自分の心情を把握させて共感を得てもらうために発達した人類にしか見られない特徴です。

相手に共感する能力に欠陥がある=赤面しない=感情よりも理屈を優先してもの後を考えることができる。といったロジックが成り立ちます。まぁ要はサイコパスだよねってことなんですが、企業の経営者のように権力を持ち自分の意思決定が組織の命運を握るようなポジションにいる人はサイコパスである確率が高いそうです。(人類全体では1%だけど経営者だけで統計を取ると4%に跳ね上がる)

ほとんどの人が人間の本質は悪だと思い込まされている理由2

ふたつめの理由は、性悪説に基づくコンテンツのほうが大衆へのウケがいいからです。

ヒトは事件や事故といった残酷な出来事に関する情報を得ることが好きです。好きというか、本能的にそういった情報が気になるようにデザインされてしまっています。

数十万~数万年前に人類がサバンナで狩りをしていた頃はそれらの情報を得ることが生存確率を上げる有効な手段だったからです。

しかし、現代では常に周囲のことを気にしていなくても死に至ることはありません。しかし、メディアはあらゆる手を使ってあなたの「本能」を刺激してきます。

なぜなら「本能」を刺激して人々からたくさんの時間を奪えば奪うほど、メディア側は「広告費」をもらえるからです。だからニュースでは連日、自分が住んでいる地域ではない、ここではないどこかで起きている悲惨な事故や事件を報道します。映画やドラマは「ベニヤ説」に基づくコンテンツが人気です。理性という皮を一枚めくったらトンデモナイ本質が現れる!といったような内容です。

余談ですけど、「キングスマン」というスパイ映画で、特殊なSIMを埋め込まれた人間が人工衛星からの通信で突如凶暴化し、世界中で激しい殺し合いが始まってしまうというシーンがあります。このシーンからも「人間の本質はとても残酷で普段は理性で抑えているけど、その理性というタガがはずれてしまうと人間はどこまでも残酷になれてしまう」という考え方が一般常識として浸透しているからこそ成り立つ演出です。ちなみに「キングスマン」は興行収入は4億ドルを記録し、イギリスで2億4,200万ドル、アメリカで2億8,300万ドルを記録している大ヒット映画です。


価値観が変わる!有名な常識のホントウの姿

私たちは「人の本質は悪だと思い込まされている」、つまり「ベニヤ説」は正しいと思い込まされているということを解説してきました。ここからは具体的に、どのように「ベニヤ説=性悪説」が浸透していったのかを解説していきます。

『蠅の王』という作品をご存知でしょうか?1951年に英国のウィリアム・ゴールディングという人が書いた小説です。「太平洋の孤島に飛行機が不時着して、子供たちだけで生き延びていかなければいけない環境になってしまったとき、彼らはいったいどういった行動をとるか?」というアイデアがもとに書かれた作品です。

彼らはカリスマ性のある少年ラルフをリーダーに選び、シンプルなルールを決めます。しかし時間が経つにつれてシンプルなルールを守れなくなっていき、対立が激しくなっていきます。数週間が過ぎたある日、ついに英国海軍の船が来た頃には、島は焼けてくすぶり荒廃しきっていて、3人の少年が亡くなっていた・・・。作品の最後は「ラルフが泣くのは純真さを失ったから、そして、人間の心の闇を知ったからだろう」という言葉で締めくくられます。

『蠅の王』は数千万部を売り上げ、30を超す言語に翻訳され、20世紀の古典のひとつとして称賛されています。『蠅の王』が世界的に人気作品になった理由は明白です。作者のゴールディングには人間の暗部を描く並外れた才能がありました。

ゴールディングは「最初は汚れのない状態でも、人間の本質が、それを汚すように強いるのです」と編集者に送った最初の手紙に書きました。

問題は、この作品はフィクション(作り話)であるということです。

実は『蠅の王』の作者のゴールディングはとても不幸な人間でした。アルコール依存症で、抑うつ的で自分の子供を虐待していました。そして、他の人にたいしてほとんど興味を持たなかったようです。

「わたしはいつもナチスのことを理解している。なぜならわたしもそういう性質だからだ」

「私にとっては、人に会うことより、人間の本質を知ることのほうが重要だった」

とはゴールディング自身の言葉です。

『Humankind 希望の歴史』では、『蠅の王』に書かれていることは本当か?という疑問に正面から向き合います。

なんと、『蠅の王』と同じような境遇に置かれてしまった子供たちが過去に実際にいなかったかということを調査します。根気強く調査を続けていた結果、むかし無人島でサバイバル生活を余儀なくされてしまった人達がいたことを突き止め、実際に会いに行ってしまいます!

時は1966年、主人公は6人のティーンエイジャーです。トンガにある厳格なキリスト教カトリックの寄宿学校に住む生徒たちは学校から脱出することを企てました。最年長は16歳、最年少は13歳で全員男の子です。彼らの共通点は、とにかく退屈しているということでした。彼らは宿題ではなく、冒険に、学校ではなく海の暮らしにあこがれていました。

6人の少年たちは何とも明るい雰囲気で真夜中の大海原に船(といっても漁師の帆船)で飛び出しました。バナナを2袋、ココナッツを数個、小さなガスバーナーしか持っていなかったそうです。磁石や海図を持って行こうと思いついた子は一人もいませんでした。こんな装備で500マイル(約800キロ)離れたフィジー島に行こうとしていたというのだから無謀にもほどがあります。

旅のスタートは穏やかでした。穏やかすぎた故に、彼らは眠り込んでしまいました。目が覚めた時には襲い掛かる波の上で目を覚まします。周囲は真っ暗で何も見えません。帆を上げるもたちまち風に引き裂かれ、あっというまに船が壊れました。

その後、食料も水もなしに8日間漂流し、奇蹟的に島に流れ着きます。とはいえその島もヤシの木が生い茂り砂浜が広がる楽園のような場所ではなく、海から突き出た巨大な岩の塊のような場所でした。

過酷な環境の無人島に流れ着き、そこでいつになるかわからない救助を待ち続け中ればいけない状況でサバイバル生活を余儀なくされる6人の少年たちは、世界的ベストセラー『蠅の王』のように「残酷」になってしまったのでしょうか?

答えはノーです。彼らは互いに助け合い、たまたま通りかかった漁船に発見されるまでの1年以上もの期間を助け合うことで生き延びました。

彼らは火をおこし常に消えないように保ち、鶏舎で家畜を育て、畑を耕し、なんと運動するためのジムまで作ったんだそうです。それらの生命線が立たれないようにメンバーでよく話し合い、それぞれがやるべき仕事を決め、自分のやるべきことを誰もがしっかりとこなしました。

時には意見がぶつかり喧嘩することもありましたが、そんなときは喧嘩した者同士が別々に島の端っこまで行き、数時間アタマを冷やしてからまた生活のベースとなる基地に戻ってきて必ず握手をして仲直りするというルールを守り続けました。

サバイバル生活の中での一番のアクシデントはメンバーの一人が崖から滑り落ちて足の骨を折ってしまったことでした。仲間の少年たちはじわじわと崖の下までおりて救助したのちに棒と葉っぱで骨折した足を固定し。治るまでは負傷したメンバーの分の仕事をほかの少年たちがサポートしました。

救助されたさいに、彼らを診察した地元の医師は、少年たちの筋肉のついた身体と、特に骨折してしまった足が完璧に治っているのをみて驚いたんだそうです。

読み進めながら、「ジョン万次郎」の話出てこないかなーと期待していたのですが。出てきませんでした。笑

「ジョン万次郎」は江戸時代に14歳のころ漁師仲間と無人島に漂流し、誰も欠けることなく143日間生き延びてアメリカの捕鯨船に救出され、鎖国中だったから本国に帰れなくて紆余曲折あってアメリカのゴールドラッシュに参加して日本人で初めてスーツ着たりジーパンを履いたりしたんじゃないかと言われている伝説の日本人です。

長々とノンフィクションの漂流サバイバルを解説してきましたが、つまり『Humankind 希望の歴史』が言いたいことは

現実世界には『蠅の王』はいなかった。人間は過酷な環境にさらされると、自然と助け合う。つまり人間の本質は善である

ということです。

『Humankind 希望の歴史』は基本的にこのスタイルを取ります。世間一般で常識とされている性悪説を支えるような有名な事例にたいして、「ホントウはどうだったのか?」ということを極めてフラットな目線で検証していきます。

集められるだけの資料を集め、会いに行けるのであればその事件や実験に実際に立ち会った人に話を聞きに行きます。

『蠅の王』はホントウか?というテーマのほかにも

大学生を看守役と囚人役に分けて実際の監獄と限りなく近い環境でそれぞれの役を演じさせると、看守役はどこまでも残酷に慣れてしまうことを証明した『スタンフォード監獄実験
人は、相手を思いやる心よりも大きな権威に屈してしまうことを証明した『ミルグラムの電気ショック実験
殺人現場を目撃した37人は誰も警察を呼ばなかったことが物議をかもし、「傍観者効果」という概念を人類に植え付けた決定的な事件である『キティ・ジェノヴィーズ事件

といったような、「人の本質は悪である(性悪説)」を人類に刷り込んできた決定的な実験や事件が、実はでっち上げられたシナリオの上に成り立っていたり、メディアによって全く事実と異なることが世界に発信されていたことが暴かれていきます。

『Humankind 希望の歴史』のには、読み進めていくとどんどん前向きになれるという特徴があります。

ヒトの本質を人類の進化の過程から紐解いていくタイプの本で有名なところとしてはジャレド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』やユバル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』が有名ですがこれらのベストセラーは基本的に性悪説を軸として話が展開されていきます。



サピエンス全史は本当によく売れていて、マンガ版も制作されています。



進化の過程をたどりつつ、矛盾なくなぜ私たちはこうなったのか?という本質に迫るプロセスはとてもエキサイティングで楽しいのですが、人類の歴史を語るうえで大航海時代の侵略行為や近代の戦争の話は避けて通れません。読めば読むほど暗い気持ちになることは避けられません。

Humankind 希望の歴史』は各章が以下のように構成されています。

  1. 人間の本質は悪であるという性悪説を支える有名なエピソードに疑問を持つ
  2. 事実を徹底的に調べ上げる
  3. 公正な目線で検証した結果やっぱり人間の本質は善である

人の本質にせまるノンフィクションものでありつつ、どこか正義の探偵が活躍する推理もののエンターテイメントような魅力も持ち合わせている本でした。

まとめ

『Humankind 希望の歴史』とはどんな本か?

オランダ出身の歴史家でジャーナリストでノンフィクション作家でもある「ルドガー・ブレグマン」さんによって執筆されました。もともとは「性悪説」を支持していたルドガー・ブレグマンさんが、過去に行われた人間性の本質を探究する有名な実験や、過去に起きた悲惨な事件の真実を紐解いていく過程で「人間ってやっぱり根っこの部分は善なんじゃん」という結論に至るといった内容です。

人の本質は悪だと思い込まされている

ひとつめの理由は、そのほうがエライひと達にとって都合がいいから。ふたつめの理由は、性悪説に基づくコンテンツのほうが大衆へのウケがいいから。(人間の生存本能を刺激するには格好のコンテンツ)

価値観が変わる!有名な常識のホントウの姿

人は過酷な環境にさらされるとどこまでも残酷になれてしまう(ヒトの本質は悪である)という有名なコンテンツを徹底的に切っていくパート。『蠅の王』『スタンフォード監獄実験』『ミルグラムの電気ショック実験』『キティ・ジェノヴィーズ事件』といった有名な「性悪説コンテンツ」を徹底的に公正な目線で分析。

おわりに

Humankind 希望の歴史』は上下巻の2冊で、実はこの記事では上巻の内容しか要約できていません。上巻では「なぜ人の本質が悪だと思い込まされてきたのか?」というポイントに焦点を当てて様々なケースを検証した結果「やっぱり人の本質は善である」という結論に至ります。

下巻では「人の本質は善である」という前提に基づいて、あるべき社会の理想の姿や、人類の未来を担う今を生きている私たちがやるべきことや持つべき心がけについて語られています。

要は上巻は過去に、下巻は未来に向かって書かれているということです。

さいごには著者による「人生の指針とすべき10のルール」も掲載されています。正直なところ、いきなりこの「人生の指針とすべき10のルール」を読んでもピンと来ないかもしれません。しかし、『Humankind 希望の歴史』を読んで、その内容がしっかりと理解できたうえで10のルールを読めば、より一層前向きで明るい気持ちになれるはずです。

まだまだ『Humankind 希望の歴史』の魅力を伝えるために語りたいことが多いのですが、ここまで読んでいただけたのであれば実際に手に取って読んでみていただくことをオススメします。



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