【本要約】夜と霧【どんなに過酷な環境でも自分を見失わない為の秘訣】

メンタルケア系
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今回は名著『夜と霧』の要約に挑戦します。


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この本から学んだこと

人には誰でも自分で人間をやめるかどうかを決定する権利がありその決定を下すのはその人自身にしかできない

なぜ、私がこのようなメッセージをこの本から受けったのか、ストーリーに沿って説明させていただきます。

舞台は第二次世界大戦中のナチスの強制収容所

舞台は第二次世界大戦中のナチスの強制収容所です。著者のVE・フランクルさんは精神科医として働いていましたが、住んでいた地域がナチスの統治下に置かれたことにより、強制収容所へ連行されることとなります。

フランクルさんは、強制収容所で精神科医として働いたのではなく、自身をただの『被収容者119104』だったと言います。ほとんどの期間、土木作業員として、あるいは鉄道建設現場の重労働者としての強制労働を強いられました。

そんなフランクルさんは、強制収容所での過酷極まりない生活に耐え抜き、人間としての尊厳を放棄することと戦い抜き、幾度とない運命のいたずらを乗り越えて、ついには生還しました。

この本のプロローグでは、初めはこの本を実名ではなく、被収容者番号である119104で公表しようとしていたということを語っています。経験者たちの露出趣味に抵抗感を覚えたからだそうです。

そんなフランクルさんが、なぜ実名で筆を取ったのでしょうか?

それは、『匿名で公表されたものは価値が劣る』からだとハッキリ書いてあります。フランクルさんが実名を公表してまで伝えたかったこと、それを私は『どんな状況でも自分自身を受け入れて、信じ抜くことの大切さ』だと受け取りました。

タイトルの『夜と霧』は1941年の総統令にナチス自身がつけた通称で、占領地の反ドイツと目された政治家や活動家を連行せよ、という命令の意味です。

原本のタイトルは全然違います。心理学者、強制収容所を体験する』です。

心理学者はなにを体験したのでしょうか?

心理学者は何を体験したのか?

収容の三段回における自己精神の変化です。

第一段階収容されてしまったことによるショックです。本全体の1割程度です。

第二段階過酷すぎる生活による感情の喪失と、それに抗うための自己錬磨についてです。本全体の8割を占めます。

第三段回解放による精神への『思いがけない負荷』についてです。本全体の1割くらいです。

圧倒的に第二段階、つまり被収容期間中の肉体的、精神的描写が多いのがこの本の特徴です。

この本は小説ではありません。辛く苦しい日々からの脱出劇のような英雄譚ではないのです。

私がこの本を分類するのであれば『哲学書』の棚に収めること以外考えられません。

事前に押さえておきたいつまずきポイント

作中で説明のない用語

カポー
同じ被収容者でありながら暴力的で犯罪的性質を認められ、見張り役などのような、収容所警備の下部機関に所属する権利を与えられた者たち
ヘテランの死神の昔話
良かれと思って取った行動が最短で最悪の結末に向かってしまうことの例え話

感情といらだちの違い

この作者は『感情』と『いらだち』を別物ととして使い分けている

三つの段階からなる被収容者の自己精神分析を要約

第一段階

=収容ショック=

希望的観測
専門用語では、恩赦妄想と言われるような『希望にしがみつき、最後の瞬間まで、事態はそんなに悪くはないだろうと信じる』思考に走る。
やけくそのユーモア
不安を払拭するために、自分自身を、同じ境遇のひとをとにかく笑わせてやろうとジョークを飛ばし合う。
冷淡と言ってもいい好奇心
この先どんなひどいことが自身の身にふりかかるのか?という疑問ですらも楽しんでしまう心理状況。

第二段階

=感情の消失=
※アパシー
(自己防衛メカニズム)

感情の消失と鈍磨、内面の冷淡さと無関心
たとえ毎日殴られても何も感じない。
ただひたすら生命を、自分の生命を、そして仲間の生命を維持することに集中する。
退行
生命維持に集中せざえるをえないストレスのもとでは政治活動全般が幼稚レベルに落ち込む、『退行』が起きる。
飢えによる『食』への関心
栄養不足による『食』への関心の一方、『性』への欲求は綺麗さっぱりなくなる。しかし『愛』へのあこがれ、その他の情動は嫌というほど夢に出てくる。極度の栄養不足と寝不足、精神的ストレスにより、急速に無関心化が進むが、例外的に『政治』と『宗教』への関心は高まる。政治は戦争がいつ終わるかが、自身の解放につながるため。
内面への逃避
『愛』とはなにかを自己解釈する。自然に魅了される。
没価値化
わずかな例外を除いて自分自身や気持ちの上でつながっている者が生きるためだけに直接関係ないことは犠牲にする。保身のために集団の中に消えようとする。羊の群れ化
収容所のユーモア
どんなに過酷な状況でもユーモアは自分を見失わないための魂の武器となり得る。ユーモアとはほんの数秒間でも周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっている『なにか』だ。
精神の自由
人間としての最後の自由だけは誰にも奪えない。人間の内面生活がいびつに歪むのは、つきつめればさまざまな心理的身体的なことが要因となっているのではなく、最終的には個々人の自由な決断いかんにかかっていた。脆弱な人間とは、内的な拠り所を持たない人間だ。現実をまるごと無価値なものに貶める。スピノザは『エチカ』の中でこう言っていた「苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、可能であることをやめる」

*私はこれを、自分の運命を受け入れることができるかどうか、もっと具体的に言えば、『今』の自分を受け入れられるかどうか、つまり、自分のことが好きになれるかどうかだと解釈しました。

身体的にも肉体的にも破綻するサイン
何もしなくなる。動かなくなる。つまり自分を放棄してしまう。
生きる意味を問う
生きる意味は人によって、または瞬間ごとに変化する。したがって生きる意味を一般論で語ることはできない。

*私の解釈としては、生きる意味は自分で見つけ、定義し、常に問い続ける必要かがある。世の中の価値観は変わり続ける。世間でもなく谷でもなく、誰でもない自分自身が自分の生きる意味を見出さなければならない。ただし、現代の倫理に沿う必要はある。人間的な生活を続けていく上で、一般常識や倫理感に従わないと、法律で裁かれてしまうため。

愛する人について
自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。『自覚』しているかどうかが大事。あくまで主体性の問題。対象の有無は問題ではない。

*私の解釈としては、現実が無価値なのではなくて、あくまでも現実が無価値だと判断および評価してしまうことが、それこそ自身(自信)を喪失してしまっていることそのものだと捉えた。

第三段階

=離人症から人間性の回復まで=

収容所からの解放
自由とは、嬉しいとは何かを感じることができない。もう一度学びなおさなければならないなにかになってしまっていた。心理学の立場から言えば強度の離人症。
精神よりも肉体が現実につかみかかる
とにかく食べまくった。そして心理的脅迫であるかのように体験を語る。ある日突然、精神が回復する。感情がほどばしる。自然に圧倒される。そしてふたたび『人間』であることを取り戻す。長いこと精神的な抑圧の元にあった人間は、突然抑圧から解放されたためにある種の精神的な危険に脅かされる。いわば精神的な潜水病といえる。特に未成熟な人間が、解放された者として今度は自分が力と自由を意のままにとことんためらいなく行使して良いと履き違える。
不満と失意
故郷に帰ってもそこかしこで会う人の反応が希薄なことによって不満が高まる。心の支えにしていた、愛する人が、実際にはもういないと知ってしまうことによる失意。最終的にはいつの日か全ての体験を振り返った時に、どうしてあれほどのことに耐え忍ぶことができたか、さっぱりわからないという奇妙な体験をする。

全編を通して

全編を通して、どんなに苦しい環境でも、『自分を見失わないこと』の重要性が述べられています。

結局は、人間として生きていくということは、主体性を持ち続けることなのだと思います。

どんなに恵まれた環境に置かれていても、自分で自分の主体性を放棄してしまうことができます。

主体性の放棄は自身を取り巻くすべてに責任を負わせる思考に陥ってしまうトリガーです。

自分がこんなに苦しいのは、環境が悪かったり他人が悪かったり、といったように、自分の外に自分の評価を求めてしまいます。

これは、自分の人生を生きていない状態です。主体性を持つことを放棄したがために、自分を保つためには、自分以外のものに依存するしかなくなってしまうのです。

こんな思考回路では自分自身のことを好きになることなどできるはずがないでしょう。

私は初めに、この本から学んだことは『人には誰でも自分で人間をやめるかどうかを決定する権利がありその決定を下すのはその人自身にしかできない』ということだと述べました。

ここまで読んでいただければお分かりのとおり『人間をやめる』というのは主体性を放棄するかどうかという生き方に関する比喩です。

頭ではわかっていても、ついつい周りの環境のせいにしてしまうのがヒトという生き物です。

しかし、この本は教えてくれます。どんなに苦しい環境に置かれても、自分自身の主体性を放棄するかどうか、つまり、自身の魂を堕落させるのか、自身の魂をこうありたいと思うまま保ち続けるのかは、自分にしか選択することができないということを。

主体性を放棄してしまう理由

結局のところ、主体性を放棄してしまう理由は、自分自身のことを好きになれないことが理由ではないかと思います。環境は生まれ持った特性や地震に備わる技術などは人によって千差万別です。

自身の思う理想的な自分と、実際の状況とのギャップに打ちひしがれるとき、人は自分のことを嫌いになってしまうように思います。

しかし、理想は理想、現実は現実です。変えることのできない要因、つまり自分ではないものすべてのことに自分の人生をあずけてしまうことはないのです。

まずは自分のことを、環境から性格から能力から何から何までをありのままに受け入れて、そして好きになることが、自分の人生の主体性を取り戻すことの第一歩になるのではないのでしょうか。

それができるのは世界でただ一人、あなただけです。

人生における哲学を自分なりにまとめた記事も書いていますのでご興味があれば併せてお読みください。

緊急性×重要性×価値観の方程式であなたの人生の軸を見つける方法
あなたの人生には『自分だけの軸』がありますか? 移り変わりが激しい現代を生きていくうえで、自分の人生を支えてくれるのが『自分だけの哲学』です。 今回紹介させていただくプロセスを踏んでいけば『自分だけの哲学』を見つけることができるはずです。

私にとっての『夜と霧』

たしかにこの本は体験記ではありますが、それ以上にわたしには『哲学書』としての存在が大きいです。

『夜と霧』は私にとってかけがえのない本になりました。

ぜひ、あなたも実際に手に取って読んでみてはいかがでしょうか?

最後に、読みながら何回も自然と思い出した言葉を紹介して締めくくらさせていただきたいと思います。

「希望は残っているよ。どんな時にもね。」

エヴァンゲリヲン新劇場版Q

渚カヲル


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